もふみんのブログ

ささみ食べてる?

龍宮城はキャパ500人程度のライブハウスでやってていいグループなんかじゃない

 

龍宮城 FC LIVE「JAPANESE PSYCHO」

2024年2月21日

至極強烈な空間が、代官山UNITに存在していた。

 

私の語彙だけでは表しきれないことが多すぎるのだが、大目に見てほしい。少しでも龍宮城の凄さが伝わってくれたなら、ファン冥利に尽きる。

以降ネタバレになるため、5日に行く人はブラウザバックを推奨します。

 

 

 

           【龍宮城】

 

「0年0組」(以下、ゼロゼロ)というオーディション番組から誕生した7人組のグループ。彼らのコンセプトは、唯一無二の〝オルタナティブ歌謡舞踊集団〟である。

彼らの成長は留まるところを知らない。それも、恐ろしいほどに。

オーディション番組が終わり、龍宮城として初のお披露目をしたのは2023年の5月6日だった。デビューをしてから、まだ1年も経っていない。そう、1年も経っていないのだ。

 

お披露目の「龍宮城の龍宮場」でさえ、凄かった。ゼロゼロをなぞらえた笑えるような演出や、当時の試験の課題曲を個々がさらに磨き上げた状態での披露、もうやめてあげてと言いたくなるほどに辛く苦しい怒涛のバイオレンスや、最後の、涙のRONDO。誰がどう見ても、初ステージというレベルを超越していた。

鼻をすする音が四方八方から聞こえた。私も然り。

オーディション番組という形を経て生まれたグループ=合格者と脱落者がいるという事実は切り離すことができない。龍宮城の龍宮場は、龍宮城のメンバー全員が、ゼロゼロから脱落したメンバーの思いを背負って、堂々と、慎重に、そして丁寧に作り上げられていた。

その繊細で脆くて強いステージが、その場に存在する全ての人の心をあらゆる形で震わせていた。紛れもない初ステージで。

当時の彼らの揺るぎない眼差しが、とても魅力的だったのを覚えている。

 

龍宮城は、見る度に成長し続ける。

人前に立つ度に、進化していくグループなのだ。

 

人は、圧倒的な何かを見ると笑ってしまうように出来ているらしく、毎回、凄みに笑ってしまう。見る度に上手くなる歌、ピッタリハマるようになっていくピッチとリズム、そして表現の幅の広がり。ただでさえ難しい楽曲が回数を重ねる毎に洗練されていく様子を見ると、いつもゾクゾクする。この人達は一体どこまで行けば気が済むのだと、毎度恐ろしくなる。

きっと、彼らの気が済むことはなく、どこまでも進んでいく。

そして、その進化の過程をずっと見ていたいと、強く望んでしまう。

 

 

追い付けない

 

 

なんだか遠くて寂しいような気もするが、KEIGO曰く、「私たちが信じ続ける限り、隣を歩き続けてくれる」らしい(ニュアンスしか覚えていなくて悔しい)から、どうか一緒に歩ませて欲しい。

 

贔屓目なしにしても龍宮城は、他の同年代アーティストにとって、最も脅威であると思う。ここまで著しく進化を遂げるグループなんて、存在していいのだろうか。自分が同時期にデビューしたアーティストなら、こんな不運なことは無い。

 

ビジュアルはもちろん、歌、ダンスはさることながら彼らの強みはやはり表現力にある。それもそのはず、彼らはあの女王蜂のアヴちゃんから全てを直々に教授されている。

彼らの中には、歌もダンスも未経験のメンバーだっている。ゼロゼロに出る1週間前まで、一般の高校生だったメンバーもいる。アイドルの研究生として活動していたメンバーなど、それまでの人生は様々だった。

しかし、デビューメンバーに選ばれてしまえばその差など関係ない。

彼ら全員と平等に関わり、一人一人と対峙し、見極めて、個性と共に最大限まで引っ張り出してくれるこの先生に対し、私たちは生涯感謝し続けなければならない。

そして彼らもまた、アヴちゃんという唯一無二の先生と関わることで生涯刺激を受け続けていくことになる。

この出会いによって流れるように受け続けた刺激がそのまま楽曲に載っかり、滞ることなく私たちの元へと届けられているという事実。

この刺激の波の到達点に居れることが幸せで幸せで、堪らない。

 

龍宮城は世界観が確立されている。そのため、彼らがMCで喋った言葉は例え本心だとしても素のようには感じられないし、談笑することも、アンコールで出てくることもない。アーティストとして孤高、どんなに手を伸ばしても届かない存在だと、そんな風に感じていた。

しかし、今回のFC LIVEでは圭吾くんとSくんが仲良くおしゃべりしていた。今までのライブでは、考えられない光景だった。あの会話も演出のひとつだったかもしれないが、年頃の高校生の絡みが見れたみたいで、なんだかとても嬉しくなった。圭吾くんの素で出たような「海音」呼びに、悶えた。あの瞬間はあまりにも微笑ましく、「圭吾が1番で僕が2番になると思う」と言ったSくんに対して、「俺は1番なんだね」と嬉しそうに笑っていた圭吾くんの表情とあの空間のふたりが、愛おしくて堪らなかった。


春空が黎くんと圭吾くん(と至)を落ち着かせるように優しい言葉で和ませる場面も、なんだか素の春空を見れたような気がして嬉しくて。

 


龍宮城のファンには名前が無い。

 


〝孤高〟の存在である龍宮城を推し続けることは、なんだか変な気持ちで、私たちの1個先を飛び越えて、1km先、いや、10km先に居るような、とても遠いところにあるような気がしてならなくて、近い所に居ても分厚いガラスの奥にいるような彼らだから、なんだか寂しくて。でもそんな存在の彼らが時折見せる、素の部分が少しでも垣間見えると、龍宮城には似合わない〝親近感〟というものを感じられて、心の中にある電熱線がジワジワと赤くなるように嬉しくなる。この気持ち、みんなも分かるのだろうか。もしかしたら、私だけかもしれない。

 


ここまでつらつらと書き連ねてきたが、あまりにも長くなりそうなので。なぜ公演ごとに書いてこなかったのかと少しばかり後悔しています。

ここからは、私が感じたメンバーの印象、そして個人的に感銘を受けた場面と楽曲について記述していく。

 


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まず初めに、サイファー。

あまり何を言ってるか聞き取れなかったけど、聞き取れた部分に対して色々考えてしまって、私にとっては、様々な感情が交錯する複雑な時間だった。このパフォーマンスの中ではゼロゼロのことも、過去のことも、忘れず共に歩んでいくという全員の意志を感じた。この部分も、カッコよすぎて笑ってしまった。

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JAPANESE PSYCHO

言うまでもなく最高の歌。その日の一体感を作り上げるトリガーの役割をいつも担っている。あの日の一体感の第一歩は、間違いなく圭吾くんが作り上げたものだったと確信している。


KEIGO

リーダーになるべくしてなった人間。龍宮城の中でも特に一人の世界観があって、彼が紡ぐ言葉には彼のアイデンティティと芯の強さが詰め込まれている。彼の言葉遣いは、彼にしか作れなくて非常に魅力的なのだ。独特で、強く惹かれる。端正なビジュアルだけではない。彼のセンスに惹かれない人間はこの世に存在しないとさえ思ってしまう。スターダストへ。ゼロゼロ開始の1週間前に房総半島で、一般の高校生だった彼をスカウトしてくれてありがとう。


その後に披露された至のJAPANESE PSYCHOには、圭吾くんのものとは全く別の魅力があった。魅惑的、と言うべきだろうか。至本人が持つ妖艶さとミステリアスな部分を上手く歌に乗せていたような、そんな気がした。


ITARU

彼は、水みたいな存在で、普段はぬるい水のように誰の心にも違和感なく入り込むけれど、彼は変化の振り幅が大きい。一度始まれば、鋭い氷にも、肌に触れる気体にも。1位という崇高な順位で裏島音楽学院を卒業したという事実も、ある意味では一番恐ろしい存在かもしれない。主席で卒業したからと言っても決して傲慢な態度を取ることなく、メンバーのことを素直に尊敬できる謙虚さと純粋さをもつ、常に暖かくて心地よい温度を保ってくれる貴方が1位で本当に良かったと、心からそう思います。

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ブラッディ・ララバイ

私の大大大好きな楽曲。音楽劇の時に初めてパフォーマンスを観て、一目で虜になった曲。前回のSYORYUでは訳あって観ることが出来なくて。イントロが聴こえた瞬間、大絶叫してしまった。断末魔の叫びをして、一度死んだ。本当に大好きで、大好きで、大好きで、音源が早く欲しくていつも飢えていて、だから聴けて本当に嬉しかった。観れて本当に嬉しかった。死んでも耳に残るキャッチーなメロディーと凄まじい威力を放つパフォーマンス。私は彼らのブラッディ・ララバイを観るために生きていく。

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SENSUAL

初めに、冨田と黎くんで披露されたそれは、本家を上回るものではないかと感じるほどだった。いや、本家だって、本家の旨みがある。が、今回披露された1つ目のSENSUALは、伝説だと思った。


冨田侑暉

冨田は、ゼロゼロ当時から個人的に印象が薄く、デビューメンバーに選ばれた時には(え?彼が?)と思ってしまう唯一の人間だった。今思えば、その感情がいかに愚かなものであったか痛感する。彼の成長力には、目を見張るものがあった。音楽劇で、唯一心の底から大っ嫌いになった彼。最悪な役どころを務めていたその時から、薄々気付いていた。冨田が持つ凄さに。金髪のハーフアップ、センターパートで披露したSENSUALの冨田はひどく美しく、目を奪われるしかなかった。スポットライトに照らされる彼がとても綺麗で、輝いていて。彼を見る度に、ゼロゼロの最終回で感じた浅はかな感情を思い出し、いかに自分が愚かな人間であったか、ナイフでグサグサと突き付けられていくのだと思う、永遠に。


2人のSENSUALは、lalalaの部分での距離がそれは近く、このままキスしてしまうのではないかと思うほどに近く、互いが互いに様々な感情が入り交じった表情をしていて大層魅力的だった。


Ray

彼のカリスマ性は龍宮城の中でも突出している。誰が見ても彼は他より頭半個分抜きん出ていると、そう感じるはずだ。黎くんは龍宮城の〝核〟の部分を担っていると、私は思う。ストイックで、表現に対する熱量が人一倍強く、驚かされるのはいつも彼のパフォーマンスで。悲痛な叫びややるせなさ、もどかしさなどを表現するのに長けている黎くんは、SENSUALで冨田を前に後ろから彼の肩に触れて踊っている時、冨田を愛おしくて遠い存在のように見つめていて、その場面での、恋する人間かのような彼の熱い視線にとてつもなく惹かれた。SENSUALって、そういう曲なのか?本家のものとは全く別物であるとさえ思ってしまった。


その後に披露された本家のSENSUALは、いつもの安定感を保っていた。


KENT

FC LIVEを通して思ったこと。SENSUAL然り、2MUCH然り、私の知っているかわいいケンティーは、そこにはもう居なかった。熱い言葉で一人、堂々とポエムを唄うハーフアップの君は、可愛かったケンティーとは似ても似つかない。龍宮城のKENTとしてただそこに存在していて、彼はもう、Hug Hug Hugやカチカクはやってくれないのだと確信した。そのくらい、龍宮城の住人になっていた。

だが、それでいいとさえ思ってしまった。

とても、カッコよかった。

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S

暗闇の中でただ一人輝く君と、私だけの世界。聞き惚れるとはこのことを言うのか。彼もまた、ついこの間まで一般の高校生であったのに。真っ暗な空間で孤独にスポットライトを浴びてアカペラでRONDOを歌う彼は、小さい顔によく映える、金髪のセンターパートという現実離れしたルックスも相まって幻のようで。ポーっとしてしまうほどの心地良さとは裏腹に、Sくんの中で青く燃え上がる灯火のような想いを感じた。RONDOは、龍宮城の中で唯一、脱落していったゼロゼロの仲間との思い出がたっぷりと詰まった大切な曲。その大事な曲を、彼らに思いを馳せながら歌っているような気がしてならなくて。Sくんが持つ青さと優しさが入り交じった歌声で歌うそれは、あの空間でしか味わうことが出来ない貴重なもの。事実、あれは幻の時間だったと思う。

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2 MUCH

「全然丁度よくなくていい」から始まるこの曲は、いつも私を肯定してくれる。龍宮城が一緒に戦ってくれる心強い曲だから、自分にとって大切で、奮起させられる。大好きで、いつも泣いてしまう曲のひとつ。

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SYORYU(→↓↘+P)

人は〝カッコよすぎて泣いてしまう曲〟に出逢ったことはあるだろうか。私はある。この曲に初めて出逢ったとき、即ち2 MUCHで。恵比寿で初披露されたこの曲を、Rayの叫びによって始まるこの曲を観たとき、カッコよすぎて涙が出た。こんな感情になるのは、初めてだった。今までの人生で、この気持ちを味わえた瞬間があるということは、私にとっての大きな武器になる。大人になってからの私に初めての感情を抱かせてくれた、大切な曲。

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レイトショー

音楽劇で初めてこの曲を聴いたとき、私はブラッディ・ララバイに対しての思いが強すぎてこの曲の印象が霞んでしまっていたが、今回は違かった。「いつも恥ずかしいくらいに夜」早く音源化してほしいと思う曲のひとつになった。「龍宮城の映画が観たいから」

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DEEP WAVE

今回のJAPANESE PSYCHOで初めて披露された楽曲。なんだこれは。なに、これ。人間がやっていい楽曲のレベルを超越している。超越しすぎている。始めの体制、なんだこれ、人が宙に浮いているではないか。ざわめく会場。ジャンルの違う5曲をひとつにまとめたのか?曲の中での変化が、おかしいほどにいっぱいあって、これ、ひとつの曲として成り立つか?いや、成り立っている。成り立っているのだが、あまりにも難しすぎる。何だこの曲。と思っていたら、終わった。難しすぎる曲。特に、圭吾くんのホイッスルボイスがずっと耳に残っている。この曲、アップテンポでノリノリだったと思いきや、スローテンポになって。なんだこの海みたいな曲。海、オイ、龍宮城だ、オイ、龍宮城かよ。あと500回ほど観ない限り、私には到底理解できない場所にある。これが〝出来る〟龍宮城、あまりに恐ろしすぎないか。腰が抜けた。また、カッコよすぎて笑ってしまった。ぜひ人類に一度、いや、二度、三度、何度も味わって欲しい曲。私が見た前回の龍宮城よりさらに面白いくらいに進化してしまった彼らは、人類が持つ並大抵の頭脳じゃ理解が追いつかないところに行ってしまった。

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齋木春空

私の大好きな春空。私の居た回ではJAPANESE PSYCHOを一人でやることも無く、誰かとSENSUALをやることも無かった(SENSUALは1部にSくんとやったようで絶望)けれど、ずっと私の心に残っています。本当に春の空みたいにあたたかい心を持っている、優しい優しい春空。卓球をずっとしていたから、オーディションでは卓球のスイングを見せた春空。歌もダンスも未経験で、自分の歌に自信がなかった春空。先生に大切な言葉を貰った瞬間からそれを胸にして、努力を止めることなく、毎公演見違えるほどに成長していく姿はいつも眩しいくらいに輝いていて、本当に誇らしいです。今回のJAPANESE PSYCHOも、赤髪でパフォーマンスする貴方は前回のSYORYUとはまた違った魅力を放っていて。音楽劇での百瀬先輩の優しさと健気さは、世界中のどこを探してもあなたにしかきっと表現出来なくて。あの時の人々が涙するほど真っ直ぐな歌声を、私は生涯忘れないでしょう。あなたを好きになれてよかったと、心からそう思います。龍宮城の中でもマイルドな雰囲気を醸し出していて、遠くに行ってしまったと感じそうな時も繋ぎ止めてくれるような存在。芸能界に染まりきってないような、まだ一般の高校生の面影をたまに感じては、心の拠り所にしています。優しいあなたのまま、成長していく姿をずっと見続けたい、わがままだけど私は、そんな風に思います。

 

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先述の龍宮城の龍宮場から始まり、2 MUCH、秘密を持った少年たち、SHORYU、そして今回のJAPANESE PSYCHO。彼らの進化は、留まるところを知らない。

 


確かに、今回のFC LIVEは1時間で幕を閉じた。

しかしあの時間は誰がどう考えても、人間が1時間で得られる満足度の領域を遥かに超えていた。

夢のようだった、今思い返そうとしても全てを鮮明には思い出せない。そう、幕が閉じ、会場から出た瞬間、まるで玉手箱を開けたような感覚に陥るのだ、あっという間に過ぎ去っていく幻想のような時間。二度目はないから、アンコールもない。この感情を覚えるのは、いつもそうである。

ただ、もう二度と感じることは出来ない強烈な時間と、身体中に響き渡る重低音、観客の熱気、鼓膜が破れそうなほどの歓声、これら全てが確かにそこに存在していたことだけ、覚えている。

 


私が一番伝えたい龍宮城の恐ろしさは、どんなに好きな推しを見ようとしても、なぜだかセンターに立っている人に目を奪われてしまうということ。推しを目で追っているつもりでも、いつの間にか真ん中に立つ人に視線を奪われてしまっている。これは、連番していた友人と同じ意見だった。

各々推しがいるのに、それぞれのパフォーマンスの中で目立つべき時に目立っている人間に目を奪われてしまう。つまり龍宮城は、全員が凄まじい魅力と圧倒的オーラを持っている、底抜けの恐ろしさを孕む集団であるということ。

いつも、音源を越したパフォーマンス。音源だけじゃ物足りなくなって、だから足を運びたくなる。生身の彼らに会いに行きたくなる。いや、会いに行かなければならないのである。私は、ある種の中毒者なのだ。

 

 

 

 

彼らは、このキャパシティでやってていい存在なんかじゃない。

 

 

 

 

知ってるのが私だけでいい。

他は知らなくていい。

私だけが知っていればそれでいい。

 

と、思うよりも先に、

 

彼らがここに踏みとどまっていてはダメだ

世界の人に見てもらう価値がある

人々が彼らを知らずに死んでいくことはあまりに勿体ない

 

と、強く強く思ってしまうような存在。

 

 

彼らの実力は、平日にしか会場を抑えられないような、そんなグループなんかじゃないから。

 

 

武道館が見えた。彼らが、ここよりもっと広い会場で多くの観客に包まれてパフォーマンスしている未来が鮮明に見えた。

 

圭吾くんは、「龍宮城が多くの人に愛されていることを知っている」と言っていた。貴方達に対してここまで重い感情を持っている人間がいること、遠い未来にでも届くといいな、とちょっぴり思う。

 

春に待ち構えるDEEP WAVE。次は、どこまで進化した彼らを見せつけてくれるのか。身体中に電撃が走るような感覚を、彼らの歌、ダンス、表現全てによって感じ続けていきたいという欲望、これこそ、私が生き続ける理由の大部分を形成していくと思う。

 

私の生きる目的になってくれてありがとう、龍宮城。

 

彼らの表現力が、努力が、実力が。

どうか多くの人の目に触れ、耳に触れ、肌に触れ。

それら全ての人に激震をもたらし、世界に対して

 

〝龍宮城は唯一無二の存在である〟

 

と大きな声で、大きなステージで堂々と。

近い将来に証明してくれることを、切に願う。

 

 

モフ美