もふみんのブログ

ささみ食べてる?

カラオケ行こ!の主人公は岡聡実であり紛れもなく齋藤潤の人生である

 

竹野世梛

 

私の推しであり、生きる希望の彼が、とある映画に出ているという噂を聞き付けた。

私がX(旧𝐓𝐰𝐢𝐭𝐭𝐞𝐫)をお休みしているとき、どうやら界隈がザワついていたらしいのだ。

 

______竹野世梛、出てた?

 

エンドロールに名前があった、と。ただ、見つからなかった、と。そんなはずがあるわけない。

まず、こんな珍しい名前の同姓同名なんて居るはずがないし、だって、彼の顔は世間の誰が見ても整っていて、笑顔は太陽のように眩しくて、瞳がいつでもキラキラと輝いていて、彼を知らない人も目を奪われてしまうようなオーラを放つ、そんな存在の彼が、2時間弱ある映画の中で誰も見つけられないだと?そんなはず、あるわけない。

でも確かに、公式からのアナウンスは無いし(発信の遅さについては通常運転である)、あろうことか本人さえ、なんの発信もしていない。自分が初めて出演する映画の告知を忘れる?そんなことがあるだろうか。はたまた、同姓同名の別人なのだろうか?

モヤモヤした気持ちを抱えたまま過ごしていたそんな時、映画公開から3日後、本人からようやくInstagramにアナウンスがあった。どうやらその映画に出ている、と。そしてそれは、人生で初めてのお芝居の現場であった、と。

 

そんなの、観に行くしかない。

推しが初めてお芝居をした記念すべき映画を、観ずには居られない。

見つからないはずがない、絶対に見つけてやる。

 

そんな重くて単純な理由で観に行った映画に、自分の人生がとてつもなく狂わされることになるなんて、この時の私は知る由もない。

 

 

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私にとって初めてのカラオケ行こ!は、未知だった。なんの前情報も得ずに、誰が出ているかも知らずに、トレーラーも見ずに、ただ可愛いタイトルだな、と思って、それだけ思ってチケットを取った。ポップコーンは何味にしようか、なんて思って。

スクリーンに入る前のポスターを見て、綾野剛が出ていることを知った。ふーん、綾野剛の映画だったんだ。隣の男の子は…誰だろう、知らない。

そして目的がなにしろ〝推し探し〟であったから、それはもう集中して観た。映画の中で、世梛の幻を2度見た。向こうにぼやけている、傘をさしている男の子ではないか。今通り過ぎた、ビニール傘を持った男の子ではないだろうか。結局確信は持てなかった。

 

 

10分だった。

 

私が世梛の幻を2度見たのは、開始10分の話である。

 

 

 

10分を過ぎたあたりからは、自分でも気付かないうちに、映画に釘付けになっていた。本来の目的を忘れて、ただ夢中で映画にのめり込んでいた。

 

面白い、とてもシュールで、私が好きなタイプの笑いだった。間がすごく絶妙で、私の苦手な「どや、ここで笑え」と言わんばかりの、やりすぎじゃない?というギャグ演出もない。自然に声が漏れてしまうような、そんな笑い。全てが私にとってちょうど良かった。

 

 

普通に楽しんでしまった。

 

 

本来の目的を忘れて、いち観客として楽しんでしまった。私としたことが、推しを見つけられなかった。見つけたのはただひとつ、エンドロールに映る、竹野世梛の文字だけ。エンドロールに推しの名前を見つけたことはとても誇らしかったけど、それ以上に悔しかった。見つけてあげられなかったことが、悔しかった。しかしそれは案外、すんなりと受け入れられた。映画の面白さが、ファンが推しを想う気持ちを上回った。ただそれだけのことだった。

 

原作が漫画であることも知らなかった。映画のエンドロールで、作者が和山やまであると知って、あぁ、どおりで。女の園の星の、クワガタの。あの人か。と思った。以前にX(旧𝐓𝐰𝐢𝐭𝐭𝐞𝐫)で読んだことがある。記憶にあるということは、それくらい好みだったからだろう。だからか、だからこの映画も好きなのか、と腑に落ちた。

 

しかし、そうではなかった。

 

私は野木亜紀子の脚本が好きなのだと悟った。

 

私が好きなのは、全て野木亜紀子が作り出したものだった。だって、鶴と亀の傘も、私が好きな映画を見る部の栗山も、ウザったいけど憎めない和田も、おせっかい焼きな中川も、顔がタイプでイケメンな指揮者も、ももちゃん先生も、自分から誘う聡実も、原作には居ない。恋愛のすったもんだも、怒涛の紅に挟まれたメドレーも、映画のキーポイントである和訳だって、原作には無い。

そう気付いた時に、衝撃が走った。

 

山下敦弘がメガホンを握る作品が好きなのだと思った。

 

全ての間が憎らしいほど絶妙なバランスを保っていて、カットとカットの繋がりをここまで上手く作り上げられる人は居るのだろうか、と思った(特別映画に詳しい訳では無いが)。ご飯茶碗の上で輝く鮭の皮も愛することも、音叉のラの音から繋がるハミングも、脚本には無かった。

その凄みに、鳥肌が治まらなかった。

 

和山やまの世界観は好きだ。彼女の画は、私の好きな作品である「動物のお医者さん」を彷彿とさせるレトロチックなタッチをしていて、コミカルな場面にはシュールという言葉が良く似合う。今日電車で原作を読んだ時も、気付かずに「フッ」と声が漏れてしまうような、そんな漫画。人と人の会話が自然で、どこか盗み見ているような気分になる、誰かの日常を切り取ったような作品。

 

しかし、漫画は、文字に出来るのだ。

足りない部分は文字で説明することが出来る。

 

それを見事に補ったのが、紛れもない

齋藤潤という俳優だった。

 

映画だって、後からナレーションを付け加えればいくらでも補足で説明することが出来る。しかし、山下監督も野木亜紀子も、それをしなかった。

なぜか。齋藤潤で全てを補えるからだ。

 

元々聡実役はオーディション役で決まった。原作者である和山やまはじめ、脚本の野木亜紀子綾野剛らが審査を務めた最終審査で、満場一致の合格。それだけで彼が実力派俳優であることはお分かりいただけるだろう。

齋藤潤くんは、齋藤潤くん演じる岡聡実と同い歳であること、変声期であること、合唱部部長のプレッシャーと初主演のプレッシャーなど、役と重なる部分が多かったと言う。

 

彼の顔立ちは吉沢亮のような、いわゆるパッと見で映える、ぱっちり二重で鼻筋が通っていて骨格がしっかりしているタイプではないけれど、よく見ると綺麗な奥二重をしていて、全てのパーツが整っていて、口角が結んだようにキュッとなっていて愛らしく、究極の小顔で脚が長く、芸能人向きのスタイル。しかし、なぜか親近感があって、どこに居てもオーラはあるけれど目立ちすぎずに馴染む、そんなルックスだ。それが、世間ではごく一般的な、一生懸命部活動に励むパンピの中学3年生、岡聡実とマッチしている理由の一つだと思う。

 

ビジュアルは言わずもがなだが、私が衝撃を受けたのは圧倒的演技力である。

先述の通り、彼の演技は原作の〝文字〟の部分を補うことが出来る。

彼の強みは、視線にある。岡聡実は、あまり笑わない。表情が少ない分、岡聡実の心情というのは基本的に、目の動きひとつで表現する必要がある。

パンピ中学生がヤクザに拉致られて閉鎖空間に閉じ込められ、心を開けるわけもない段階のその空間全てに怯える戸惑いと少しの好奇心。パンピ中学生が突然大勢のヤクザに囲まれた時の恐怖と張り詰めた表情。パンピ中学生がヤクザにダル絡みをされた時のジト目だったり、パンピ中学生がヤクザに目を付けられた時の絶望を、目の動きだけであそこまで表現出来る中学生は、居るだろうか。否。

それでいて神奈川出身だというから脱帽モンだ。齢十五のうまれたて中学生が、あのナチュラルな関西弁を生み出すまでどれほどの労力と時間を費やしたか、計り知れない。

あと堪らないのが、岡聡実はポーカーフェイスだが、齋藤潤の自分が思うチャームポイントは〝よく笑うところ〟であること。悶え殺される。

 

また、齋藤潤は、岡聡実が持つ、成田狂児に対する心情の変化を見事に演じていた。狂児に心を開き、好意を持つ過程を、表情で、それは見事に。

齋藤潤は岡聡実そのものであった。であるから、齋藤潤の演技は相対する綾野剛が引き出したとも言える。

初主演の齋藤潤にとって綾野剛の存在は大きかったはずだ。綾野剛は潤くんに対し、メンタルケアや先輩としてのアドバイスはもちろん、対等な俳優としての演技の掛け合いをしてくれて、二人で意見を何度も擦り合わせたという。

こうした時間を共に経た結果、齋藤潤の綾野剛に対する心の開きが、聡実の狂児に対する心の開きにまんま反映されているように感じた。

綾野剛はじめ周りの俳優にも恵まれていたから(潤くんが納得するまで皆付き合ってくれたそう)、カラオケ行こ!の現場は、主演俳優・齋藤潤にとってはこれ以上ない最高の環境だったに違いない。

 

 

またこれには賛否両論あるらしいが、私が初回に鑑賞して思った感想、それは〝カラオケ行こ!は良質なBLである〟ということ。

 

「怖いのはもう嫌やけど、狂児さんだけやったら続けてもええよ」(君とだったら私、怖くないよ)然り、狂児がかけてくれた言葉「綺麗なモンしかあかんかったらこの街ごと全滅や」は中学校が全ての聡実にとって救いだった。

私はその後の聡実の、自分のネガティブな部分まで認めてくれて嬉しいと言わんばかりのニヤける表情が堪らなく好きである(狂児の腕に絡まりながら「狂児さん、帰りたい…」のあの名シーンも堪らないが)。

加えて聡実が狂児にキレた理由も、恋愛(狂児の勘違い)のすったもんだをからかわれたからで、それだって、好きな人に誤解されたときのやるせなさと全ての感情が絡まった爆発のように感じられた。

 

また、聡実と同じく狂児も聡実を大事に思っていて、いや、狂児おま、これは恋をしてるだろう!と勘違いしてしまう、聡実先生によるメモ説明はそっちのけで愛おしいものを見るような眼差しで聡実を見つめ続けているシーン(気付いた時には昇天していた)や、宇宙人から聡実を守ったり、人に固執しそうにないヤクザが悲しそうに「元気くれるんやなかったのー」と聡実の背中に訴えるだとか、「聡実くん置いて死なれへんしな」など、狂児ー!世間ではそれを恋と呼ぶんやでー!と思うシーンが多かった。これが俳優、綾野剛の力なのだろうか。彼もまた、末恐ろしい生き物である。

(正直、綾野剛は好きでも嫌いでもない俳優だったが、笑顔がチャーミングで、繊細な表情が上手い俳優だと知らなかったため、見る目が変わった。齋藤潤くんの出演作は少ないから、自分は今MIUに手出しをしようとしている。)

 

狂児と聡実の関係は、エモいとかそんな安っぽい言葉で表せない、尊くて儚いもの。幻に感じるような、脆くて優しいただ一つの、二人だけの青春。

 

そして、お互いがお互いに想いあっていることに気付いていないのも堪らないし、そんなのをかき消すくらいの青春味!青空!も、全てがちょうど良かった。ほんまにありがたいものを見せていただきました。

 

 

映画版カラオケ行こ!は、全ての事象が重なるべくして重なった作品だと断言する。

和山やまがカラオケ行こ!を描いたこと、カラオケ行こ!がマンガ大賞を受賞したこと、カラオケ行こ!の映画化が決定したこと、そして、齋藤潤がこの世に生まれたこと、齋藤潤が演技に興味を持ったこと、齋藤潤が俳優を目指して事務所に所属したこと、齋藤潤がカラオケに篭って台本に聡実の気持ちを書き込んだこと、齋藤潤が紅を沢山練習して挑んだオーディションで合格したこと、齋藤潤がこの役を受けると決めたこと、齋藤潤の声変わりのタイミング、全てがこの映画のためだった。

 

クライマックスの、齋藤潤の魂を全て注ぎ込んだような紅は、涙無しには見られない。

当然私も、毎度泣かされる。お涙頂戴ではなく、いつも自然に涙が出ているのである。自分の人生でXJAPANの紅に、YOSHIKIに泣かされることになると誰が想像出来ただろうか。4回観て、4回泣かされている。

齋藤潤は、齋藤潤の歌声は、なぜここまで人の心を揺さぶるのか。

 

聡実のすべての思いを込めて、ももちゃん先生曰く、愛。狂児への愛を載せて、綺麗なものだけじゃなくていいと認めてくれた狂児への愛を、声変わりの辛さとか関係なしに、ただ必死に、地獄にいる狂児へ向けて、喉が潰れそうになるほど全力で歌う紅。人生の刹那に、命を削って歌った鎮魂歌。

 

人の声変わりの過程って、ひとつの映画に収めることが可能なんだ、と思った。自分の人生において、声変わりの瞬間に立ち会うことなんて中々ないから、新鮮で、とても切ない。まるで、真っ赤に燃えて尽きる花のようで。

 

私自身、同じ映画を観に映画館まで足を運ぶなんて経験は初めてで、同じ映画を観に2回以上映画館に行ったことのない人が、4回足を運んでいる。私をここまで突き動かすのは、潤、アンタが初めてだよ。私を紅に染めたのは、アンタ。

 

1回目は、推しを見つけに

2回目は、推しの声と聡実の紅を聴きに

3回目は、友人と行ったので楽しめてるかなと気にしながら聡実の紅を聴きに

4回目は、極音上映で聡実の紅を聴きに

 

日曜日は映画を観て

月曜日にシナリオブックを買って

火曜日にパンフレットを買って

水曜日に映画を観て

木曜日も映画を観て

金曜日に原作を買ったよ

土曜日で1週間コンプリートだよ

 

何度観ても見飽きない、だって、聡実の魂の紅は今、映画館でやっている時にしか聴くことが出来ない。今後様々な媒体で配信されることになるだろうけど、それは聡実の魂の紅を肌で感じられないことを意味する。音楽のストリーミングサービスにだって、聡実の魂の紅は無い。だから私はまた足を運ぶことになると思う。コカイン星のシャブ星人は紛れもない、この私だ。

 

漫画に原作厨はつきものだが、綾野剛が解釈違いとこの映画を食わず嫌いしている人に、どう魅力を伝えるべきかすごくもどかしくてやるせない。なぜって、ネタバレありきで成り立つこのブログは、原作厨の目に触れることはないだろうから。

しかし、ただひとつ言えることは、映画版カラオケ行こ!は、漫画とは全くの別物であるということだ。

今日初めて原作を拝見したが、別の作品だったのではないかと思うくらい、オマージュしただけなのでは?と思うほど、原作と違った。いや、合っているのだが、違った。フォーカスされている部分が全く別であるからだ。

2次元の岡聡実の泣き顔は(オワタ\(^o^)/)なのに対して、3次元の岡聡実の泣き顔は、潤んだ目の奥に絶望を感じるものだったりする。漫画と映画では、映り方も変わる。そこのギャップも楽しんで見てほしい。そのくらい、齋藤潤の演技に惹き込まれるし、齋藤潤演じる岡聡実が主役の映画なのだ。映画版カラオケ行こ!は、漫画の要素をひとつまみして、それを濃く描いた作品である。

齋藤潤、綾野剛山下敦弘野木亜紀子が、和山やまへのリスペクトを持って別の作品を作ったら、全ての良さが掛け合わさって、不可抗力で最高の作品が出来上がってしまったのだ。神様もびっくりだと思う。

 

シナリオブックもパンフレットも、23年間の人生で初めて買った。正直、自分がひとつの映画にここまで狂わされるなんて考えてもみなかった。

 

 

 

 

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推し目当てで観に行った映画に、推しが出ていなかった。

でも、別に推しが出来た。そして現在進行形で狂わされ続けている。世梛のせいである。どうすんのコレ。

 

 

 

齋藤潤くん、君の青春の全てを紅に、そして聡実に捧げてくれてありがとう。

 

 

 

 

モフ実